旅の思ひ出06|ミャンマー編(1998/11/17-1998/11/25)

pagoda Travel

0)今回のルート(1998/11/17-1998/11/25)

ミャンマー編:ヤンゴン→マンダレー→バガン

1)空港で断固両替拒否!

Kyat

今考えれば信じられないような話なのですが、ミャンマーでは外国人が入国する際に強制的に外貨を両替しなければならないという義務がありました。その額US$300です。
(2020年現在、そのような義務や制度はなくなっている模様。)
仮に今ミャンマーに行ったならば、それなりのホテルに泊まりそれなりの食事やサービスを受けるでしょうから使い切るのかもしれませんが、なにせ貧乏バックパッカーの旅行です。10日ぐらいの滞在予定ですから一日US$30も使うわけがありません。

インドにいるときから旅行者の間で、入国の際にどう対応すべきかをあれこれ情報交換したものです。そのなかの情報に、「無視を決め込んでスルー」という強気の提案をしてくる方がいましたので、勇気を振り絞って決行するしかありません。なにせこのUS$300はミャンマー通貨に換金したが最後、二度とUS$には戻りません。次の訪問国タイでバーツに両替できる見込みもありません。

カルカッタからのフライトでヤンゴン空港につくとイミグレーションを通ってロビーに出てきます。するとロビーには、何人もの換金誘導係員らしき人々が待機しています。何食わぬ顔で空港の出口に向かって歩いていると、
「Hello, in Myanmar foreign tourist people have to change サンビャクドル! と執拗に迫ってきます。ここは、頑として聞こえないふりをするしかありません。サンビャクドルと大事なところだけ日本語になっているからと言って反応してしまうほどの門外漢ではありません。すでに日本を出て2ヶ月経っています。つかつかと空港出口に向かってまっしぐらです。でもクマと同じで決して走って逃げてはイケません。
こうして、なんとかUS$300強制両替の刑はまぬがれることができました。ほっと一息です。

2)仏教国ミャンマーの観光

ヤンゴンでは、講堂のような大部屋のドミトリーを宿にしました。部屋が広い割に灯りの数はそれほど多くないので昼でも薄暗いところです。部屋の端には水シャワーとトイレがついています。インドあたりから水式のトイレに馴染んできたのでまったく抵抗はありません。むしろミャンマーになるとトイレに水シャワーがでるホースが備え付けてあるので非常に清潔です。
安心の宿を確保できたので、早速ヤンゴン観光にでかけます。

■寝釈迦仏で有名なチャウッタージーパゴダ

Chaukhtatgyi-Pagoda

■シュエダゴン パゴダ

shwedagon-pagoda

修行に来ている仏教徒は、このパゴダの周りを祈りながらグルグル周回していました。

shwedagon-pagoda02

インドやネパールなどこれまでの国は、仏教施設がありながらもヒンドゥー教が主流だった部分もあり寺院ごとに趣きが様々でしたが、ミャンマーは、上座部仏教が中心の国です。
(なお、「小乗仏教」という呼び方は、北伝の「大乗仏教」の宗派の立場からの呼称であるため適切な呼び方ではありません。)

よって、観光施設も自ずと仏教施設が中心になりますが、日本のそれとはまた趣きを異にするものであることは、パゴダの姿をみるだけで想像つくかと思います。

ちなみに、川崎大師自動車交通安全祈祷殿は、れっきとした真言宗の寺院であるにも関わらず、まるでミャンマーのパゴダのような姿をしています。あまりに日本離れした様子は一見の価値ありと思いました。

3)生涯初の熱中症

ミャンマーに入国したのは11月の中旬です。ワタシは完全にヤンゴンの暑さをなめていたかもしれません。市内観光のつもりで市内をテクテク歩いていたら、段々とめまいをおぼえ始めます。気温は、35℃をゆうに超えていたようです。日本でどんなに暑くても太陽に負ける経験などしたことがなかったのですが、ミャンマーの暑さは日本と同じ感覚で行くと恐ろしいことになります。

Temperature

「もうだめだ。。。」と思いながら、本能的にヤンゴン市街にあった和食料理屋に入ります。最初はなにか食事をとりながら涼ませてもらうつもりで入っただけなのですが、店に入って席に座っているだけで本当に気分が悪くなってしまいその場で倒れそうになってしまいました。
たまたま、そのお店のカウンターに50代ぐらいの男性がいらして、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
出張でミャンマーにいらしている方でとても親切にしていただき、熱中症のような症状だったワタシを介抱してくれました。街中で倒れ込んでしまわずにすんで本当によかったです。

4)油濃いミャンマー料理

仏教国のミャンマーに入ったということは、ようやく食材の制約、、、とかくブタ肉や牛肉についての制約が外れたのですが、残念ながらワタシがヤンゴンでいただいたミャンマー料理は、正直に言ってそこまで美味しいものではありませんでした。
今のミャンマー料理がどのように変わったのかは確認できていないのですが、少なくとも当時のミャンマー料理は肉などを油で煮たような感じの料理が多いという印象でした。

mohinga

ただ、今はミャンマーに限らず、どこに行っても様々な料理が楽しめるようになってきていると思いますので、脂ギッシュな料理だけではないことを祈るばかりです。

5)古都マンダレー

ヤンゴン観光を終えると、マンダレーに赴きます。
マンダレーは、コンバウン王朝の首都が置かれていた都市です。よって地図をみるとこのように、Watch Towerを中心に堀で囲まれた区画があります。

その中が王宮になっています。

mandalay

ミャンマーの旅ではヤンゴンの途中から証券会社に勤務する旅行好きな20代の女性の旅行者と、同じく20代の酒好きの男性と3人で行動をともにします。
マンダレーでも自転車をレンタルしてもっぱら自転車で王宮やパゴダなどを巡っていました。

6)仏教遺跡バガン

 

ミャンマーを訪れた1998年当時、ミャンマーには世界遺産と呼ばれる観光資源がありませんでした。これだけ名所旧跡が多いのになぜインドや中国のように世界遺産に認定されないのだろうと素直に疑問です。特にこのバガンなどは、訪れた瞬間、世界遺産の風格にふさわしいスケールの大きさです。

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当時の軍事政権がゴルフコースや展望台を建てたことで認定を逃してしまったようですが、2019年にようやく世界遺産に認定されています。

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ヤンゴンのパゴダ、マンダレーの王宮、バガンのパゴダ、いずれも仏教関連の史跡、遺跡であるにもかかわらず、こうしてみてみるとそれぞれが異なる味わいを魅せてくれます。

バガンの観光を終えヤンゴンに戻った後、行動をともにしていた2人と別れて、タイ航空に搭乗し、隣の国タイへ向かいます。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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