旅の思ひ出07|タイ編(1998/11/25-1998/12/02)

bangkok Travel

今回のルート(1998/11/25-1998/12/02)

タイ:バンコク→一時帰国

 

※このマップは、陸路でのルートを示していますが、ヤンゴン→バンコクルートは空路を
 利用しています。
※2つの都市の位置関係を示すためにGoogle Mapを使用しています。

空路でバンコクへ

Thai-Airline

インドからミャンマーへの入国が空路限定だったように、ミャンマーからの出国も空路限定です。よってヤンゴン空港から、次の訪問国のタイへ向かうために再度フライトを利用します。バンコクまでのフライトはタイ航空を利用します。
これまで、中国→パキスタン→インド→ネパール→ミャンマーと旅してきましたが、すべて入国にビザが必要な国ばかりでした。タイは今回の訪問国の中で、唯一入国するのにビザを必要としない国でした。
ヤンゴン空港でバンコクへ向かうフライトに搭乗したとき、「おや?」と思います。ある種の違和感におそわれます。機内の雰囲気が何か違うのです。

機内には女性だけでなく男性のCAもいました。彼らがとても爽やかなのです。
もちろん、CAが髪がボサボサで身なりがだらしないことはあり得ないことなのですが、この感覚は、カルカッタからヤンゴンに向かうフライトでは感じなかったことでした。

bangkok02

そして、フライトがバンコク上空に近づいたとき、やはり「おや?」と思います。街が非常に明るいのです。搭乗したフライトがバンコクに到着したのは、21時をすぎていましたが、未だに街が光光としているのです。これまで訪れた国は、21時台にもなるとほとんど街明かりがなく宿でおとなしく休むだけの毎日でした。
「ああ、この国はこれまでの発展途上国とは少し意味合いが違うのだな。」と体感することになります。

夜のバンコク

新しい国へ入国する際に、昼に入国するほうが断然安心なのですが、ワタシは敢えて夜を選ぶことが多いです。
理由は2つあります。一つ目は、すこしくだらない理由なのですが、見知らぬ国に夜飛び込むことで、いくばくか冒険心が醸し出されることです。もう一つは、夜の街から入ることでその国のムーディーさ度合いをいち早く感じ取りたいということです。
バンコクはこれまで訪れた国々に比べてとてもシステマティックな都市です。空港から市内までの移動もシャトルバスが運行されており、とてもスムーズに移動できました。
そのため冒険心のようなものはあまり醸成されず、機内から眺めたバンコクの街明かりを市内までのバスの車窓から眺めながら、「ようやくこんな大都市までやってきたんだ。」とある種の感慨に耽っていました。

ガイドブックなどを手に取ると「微笑みの国タイ」などと書かれています。「そんなに笑顔満載の人々か?」というのが正直な感想です(笑)
ですがこれまで訪れた国々に比べて、市内の移動や、食事などでの価格交渉がほぼ必要なかったためストレスを感じることの少ない街でした。

■点在するコンビニエンスストア

convenience-store

そして、コンビニエンスストアがたくさんあります。ワタシが訪問したときは、圧倒的にFamily Martが点在しており、夜中にメインストリートに出るとどこの商店もクローズしているのにコンビニエンスストアだけが、まばゆい光を街に放っていました。

■久しぶりのマクドナルド

mcdonalds

今回の旅は、新疆ウイグル自治区からスタートし、「最強の発展途上国」を旅してきたので、コンビニエンスストアはもちろん、マクドナルドもありません。
ワタシは、特段マクドナルド好きではないのですが、さすがに3ヶ月ぶりに見かけると無性にマクドナルドのハンバーガーが食べたくなります。
しかも、タイも仏教国なので食材についての制限がありません。牛肉もブタ肉も自由です。おそらく相当ブタ肉に飢えていたのでしょう。バンコクのマクドナルドにあった「サムライポークバーガー」をことあるごとにかぶりついていました。

street-food

また、バンコクでも相変わらず貧乏バックパッカーでしたので、高級タイ料理などありつけません。もっぱら路上の屋台で10バーツ(約30円)程度のタイ風お好み焼きだったり、バナナフライだったり、カットフルーツを買ってお腹を満たしていました。

猛烈な旅疲れ

khaosan

バンコクには、バックパッカーの溜まり場のような地域があります。「カオサンロード」と呼ばれるところで、一泊80バーツで泊まれる安宿や、旅行代理店、両替所などが集積しています。ワタシは、一泊80バーツの安宿を選んで宿泊していました。トイレ、シャワーは共同。シャワーは当然ですが水シャワーです。
今考えれば少し恐ろしいのですが、この宿では、外出の際に部屋の鍵をフロントに預けるのですが、宿に戻って来たときに部屋番号を告げるとほとんど何のチェックもなく自分の部屋の鍵を渡してくれていました。当時、部屋に貴重品を置いて外出することもありましたから、よく何も盗難されることなく帰国の途につけたなと思わずにはおれません。

muay-thai

バンコクでは、市内の仏教寺院の観光をしたり、一泊二日でアユタヤ遺跡往復に出かけたりしましたが、それだけでなくムエタイを観戦したり繁華街でアルコールを楽しんだりしました。

beer

しかし、ここで猛烈な旅疲れに襲われます。カンタンにいうと「旅に飽きてしまった」という感情です。

街を移動する度に、その街の観光地を巡りパシャパシャ写真を撮る。しばらくそこに滞在して満足感を得ると、次の街へ移動。基本的にはこの繰り返し。
出会う人々とは、「これまでどこに行った?」、「AからBはこういうルートがある」、「これからどこに向かう。」、「もう3年ぐらい旅行しっぱなし」といった旅の経験談のみの会話です。
ある方に言われたのが印象的ですが、「基本的に、どれだけ珍しいところにどれだけ安い費用でアクセスできたかを自慢しあっているだけの会話。」とのことでした。
そこまで極端ではないのかもしれませんが、ミャンマーでの行動がずっと3人組での行動だったのに、バンコクの安宿で急に一人暮らしになってしまい孤独感に苛まれたのかもしれません。

こうして旅を続けることに対して、猛烈な虚しさを感じ始めます。

一年間のオープンチケット

この状況で、カンボジア、ベトナムへの旅を続けるのは無理そうだと判断し、一旦帰国することにしました。一度帰国して、続きはまたバンコクからスタートすることにします。これは自分にとってかなりの予想外の出来事ではありました。血気盛んに日本を飛び出したのに、わずか3ヶ月もたたないうちに帰国したくなることがあり得るのだと、思い知らされます。

cathay

幸い、バンコクは旅行者に対して利便性の高い都市として機能しており、バックパッカーにとってのハブ都市として使われています。特に便利だったのが、1年間のオープンチケットの航空券を格安で購入できることです。
今では、航空券の予約はオンラインで済ませられる時代なので、あまりオープンチケットというコトバを使うことも少なくなりましたが、バンコク~日本のオープンチケットだと一旦帰国便(バンコク→日本)の日程だけ決めておき、また日本からバンコクにやってくる日程は、1年以内であとから自由に予約を入れられるという性質のチケットです。
この種のチケットを買って、ある意味、自分に「近いうちにかならずバンコクに戻ってくるんだぞ!」という宿命のようなものを課して帰国することにします。

日本へ帰国

こうして1998/09/16に出国し、中国・西安からスタートした大学卒業前の長旅は、78日目の1998/12/02に終了します。

3ヶ月も経っていないのに、ずいぶん長いこと日本を離れていたような気がします。
帰国した日本はすでに冬に入っていたので、とても肌寒く、あわててザックの奥からパーカーを取り出して着込んだのをおぼえています。

そして、一番厄介だったのが、帰国の際の通関でした。
帰国便にはタイのパックツアーに参加した人々が沢山搭乗していたので、彼らと同様に自分もすんなり入国できると見込んでいたのですが、まったく勝手が違いました。

巡ってきた国で、危険品にハマっている人々を何度も観てきましたし、ワタシ自身が坊主頭でヒゲも剃っておらず、いかにもヒッピーの風貌です。
入国管理官がなかなか許してくれません。ザックの中の荷物をほぼすべてひっくり返させられます。その中にインドでお土産として買った紅茶が直接紙に包まれていて、それがかなり怪しい。

tea-leaf

入国管理官に「これはお茶?」という疑念を持たれながら調べられ、最後にはジーパンのポケットに隠しているものはないか入念にボディチェックを受け、ようやく入国を認められました。

あとにも先にもあれほど苦労した入国手続きはなかったのではないかと思います。
なんとか無事に家に帰り着くことができました。

次回以降は、バンコクから出発するアジア一周の旅~後編について書き綴っていこうと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。




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