0)今回のルート(1998/10/18-1998/11/04)
インド前編:アムリトサル→ニューデリー→ジャイプール→アーグラ→サーンチー→カジュラホ
1) アムリトサルでブチ切れ
人生初のインドです。インドって悩ましいところもあります。正直、滞在していてほとんど快適さを感じることがありません。喧騒、矛盾、非条理、無情といったいろんな形のエネルギーの塊がむちゃくちゃにうごめきながら進んでいるという感覚になります。ワタシは特に人混みが好きなわけでも、非条理なことを楽しめるタイプの人間でもないなですが、なぜか、この手の一人旅をやっているとインドを避けては通らないような気がします。そんな思いでインドに入国しました。
最初の都市が国境のアムリトサルです。ここは、国境の町である以上の情報はなかったのでさっさと目的のニューデリーに向かおうと考えていました。ニューデリーまでのバスのチケットを購入したものの、バスの出発が夜だったので、重い荷物を少しでも軽くしようと郵便局から荷物を発送します。すでに出国した中国・新疆ウイグル自治区とパキスタンのガイドブック。出発時は使っていたけれど、既にいらなくなった衣類。これらを発送するために郵便局に向かいます。インドはとにかく人が多い。みんな、なんのためにここにいるのだろうかというぐらい意味もなく人がいます。初老の男性に荷造りサービスを頼みます。ダンボールとガムテープがあれば済む話なのですが、なぜか荷造りサービスという商売が成り立つようです。Rs.12を渡すと、彼が取り出したのがクリーム色のインド綿。これでワタシの荷物をくるみ始めます。そのあと、くるんだ布を朱色の蝋をつかってつなぎ合わせていきます。「いつの時代だよ!」とツッコミを入れたくなりますがそんなことをしてはいけません。じっと待ちます。最後に封蝋を施してもらい完成です。生まれて初めてこんな大仰なパッキングを拝見しました。
荷物を発送したのち、映画を観に行きます。映画館に行ってみると、インド映画を公開していました。
この頃、まだそこまで映画を好んで観ていなかったためインド映画と言われてもピンときません。その時上映していたのは仮面ライダーのような勧善懲悪モノ。悪にさらわれたヒロインを濃い顔立ちの男が救い出すというあらすじ。ヒーローが現れるといちいち観客は「ウオーッ!!」と騒ぎます。これがインド風の映画鑑賞なのねと理解します。
ようやく夜になったのでニューデリー行きのバスを待ちます。。。待ちます。。。待ちます。。。。いっこうに現れません。しびれを切らしてターミナル事務所に問合せに行くと今日の便はないとのこと。まったく意味がわかりません。しかし、ゴネても仕方がないので、あきらめておとなしく宿でふて寝です。
次の日、「今夜こそニューデリーに向かうぞ!」とバス乗り場に向かいます。19:50出発なので、19:20ごろバス乗り場に到着。係の人間が二人いたので、ニューデリー行きに乗りたいと告げると、「今夜の便はもう出発した」と言います。本当に意味がわかりません。遅れて乗れないのならまだしも、バス乗り場に30分も前に到着したにもかかわらず、すでに出発したとは。。。係の人間と揉めていると、相手がまったく悪びれないことにだんだん腹がたってきて日本語で怒鳴り散らしてしまいました。何が楽しくて、アムリトサルに2泊もしなければならないのかという苛立ちで溢れかえってしまったようです。たまたま行動を共にしていた旅行者は、「インドなんてそんなもんだろう。」と勝手知ったる様子。ワタシをなだめようと瓶ビールを買ってきてくれました。一本Rs.50ぐらいした気がします。150円ぐらいなので日本にいたならば、ささやかな親切心レベルと言えそうですが、インドにいると大金に思えます。よく瓶ビールを奢ってくれたものだと思います。
2) 野良牛だらけのニューデリー
腹を立てながら過ごしたアムリトサルでしたが、三日目の夜にようやくニューデリーに向かて出発することができました。ニューデリーでは、安宿の定番街「パハールガンジ」に宿を構えます。
◾️邪魔な野良牛たち
ニューデリーでいきなり度肝を抜かれたのが野良牛です。朝7時頃、夜行バスで到着したのですが、パハールガンジの路地裏に入ると至るところで野良牛が歩き回っています。誰にも飼われていない牛が、うろうろしています。あとから旅行者同士での情報交換をとおして、ヒンドゥー教においては、豚が不浄で、牛が神聖な生き物だと知ります。よって、インドでは肉はチキンかマトンの二択です。パキスタンで、すでに豚を封じられましたが、さらに牛も封じられます。
食に制限がかかる宗教の世界に入ると、仏教文化で暮らしていることがとても自由に思えます。蛇足ですが、仏教の世界は利子も禁じていません。戒律面では実に自由と言いますか、寛容な信仰だと思わずにはおれません。
◾️ミャンマービザ申請
新しい国に入ったら次に行く国のビザを申請するのが、長旅のお作法になっていきます。次に向かう国はネパールですが、幸いネパールは国境でビザを即時発行できるとの情報を得ていたので、ここではその次に訪問する予定のミャンマービザの確保に動きます。
パキスタンでインドビザを申請したときとはうってかわり、ニューデリーのミャンマー大使館でビザ申請を行う人はあまりいないようです。申請に行ったときはワタシだけだったと思います。誰も来ない大使館なので、入口に警備員のようなスタッフもおらず、「こんなセキュリティスカスカのところが大使館?」と思いながら訪ねていきました。滞りなくビザを取得したのち、大使館の建物の前で水を飲みながらすこし休んでいました。10月とはいえまだ暑さの残るインドです。すると、さきほどビザの発給の対応をしてくれた書記官らしい役職のミャンマー人女性の方がひょっこり建物から出てきて、「いつ頃ミャンマーに行くのか。」「インドにはどのぐらいいるのか。」といった感じの世間話をしてきてくれました。大使館の職員にしてはずいぶんと暇なんだなと感じずにはおれませんでした。あんなに気さくに対応してくれた大使館は後にも先にもこのミャンマー大使館だけです。
◆ミャンマービザ
注 ミャンマービザ|2020年ではこのようなビザは不要になった模様
■しつこすぎるリキシャーワーラー
ニューデリーでの観光地巡りや市内の移動は、もっぱらリキシャーを使います。これがインド旅行において最もストレスといっても過言ではありません。彼らは恐ろしくしつこい。我々のような旅行者を見つけると、「ウェラ アル ユー ゴーイング?(Where are you going?)」とすごいインドなまりの英語で話かけられます。質問に答えずにいると100m、200mは平気でついてこられます。歩き疲れたので、仕方なく利用しようとするとわずか5分、10分の距離でもRs.100のボッタクリ価格から交渉スタートです。いくらで交渉が成立しても、本当にその価格が妥当だったのか正解がわからず、いつまでも騙されている感覚だけ残ります。そんな生活をしているとだんだんイライラがつのり、最後の方は一切リキシャーを使わず徒歩で行動していました。
3) インド黄金三角コース
ニューデリーで無事にミャンマービザも取得でき、観たいところも確認できたので、インド旅行の定番コースであるゴールデントライアングルツアーを始めます。ニューデリーの次はジャイプール、その次はアーグラです。
■ピンクシティ|ジャイプール
ジャイプールは、赤い建物が多いため「ピンクシティ」と言われているそうです。ここは、観光地が多かったのでオートリキシャーのおじさんと交渉して一日Rs.250でチャーターし、主要な観光名所を巡ってもらいました。なかでも、「風の宮殿」と言われる「ハワーマハル」を目にしたとき、この街の歴史の深さを感じました。
■お付き合いの土産物屋巡り
もしかすると、一日Rs.250というのは、相場より安かったのかもしれません。これはインド旅行あるあるなのですが、インドでリキシャーを一日チャーターすると十中八九、付き合いで土産物店巡りに付き合わされます。シルバー(実際は、鉄か真鍮)屋さん、高級絨毯、工芸品など一日で3、4軒付き合わされます。ワタシがジャイプールで出会ったオートリキシャーワーラーは、「いい人おじさん」を演じており、やたらと「息子が欲しがっているんだ」、「ワイフに頼まれたんだ」と理由をつけては寄り道をするという曲者でした。土産物店もその一環で避けて通れません。
別れ際、これまで連れてきた日本人旅行者が、このおじさんのために綴ってきたリコメンドメモ帳を渡され、「今日の感想を書いてくれ」と言われたので、「それなりにいい人だけど、他のリキシャーワーラー同様、強制的に土産物店に連れて行かれるので、過剰な期待はしないほうがいい。」と書きました。
リキシャーワーラーから、「何を書いたのか知りたいので英語で教えてくれ。」と言われたのですが、当然適当にごまかします。
■アーグラ|タージマハール
インド旅行の定番といえば、バラナシのガンジス川かタージマハール。そのタージマハールがあるのがアーグラです。この旅では世界遺産を出来るだけ多く巡ろうとしていましたので、タージマハールももちろん立ち寄ります。
この宮殿は、完全な線対称の造りで有名です。白い建物でいながら目を凝らしてみるとモザイク模様が施されているので、長時間いてもすぐには飽きません。結局、その場を後にする頃には夕暮れを迎えていました。
4) サーンチー|インド仏教の世界に触れる
日本人の信仰スタイルは、ある意味で非常に独特ですが、基本的には仏教ベースで構成されているケースが多いため、時間に余裕のあるバックパッカーたちは、ブッタガヤまで足を伸ばします。お釈迦さまが、悟りをひらいたとされる菩提樹のある土地を踏みたがります。当然、ワタシも行きたかったのですが、それよりもサーンチーとカジュラホにココロを奪われてしまいました。ブッタガヤまで巡っている時間はなさそうです。あえなく断念。
サーンチはそんな究極の選択の中で選んだ、仏教遺跡のストゥーパが崇める村です。世界遺産になっている場所でもあるので、非常由緒正しい場所なのですが、なにせ仏教なので今のインドではそこまで人気はありません。いくつものストゥーパが立ち並ぶ田舎の聖地を心ゆくまで堪能することができました。
5) ヒンドゥー教の神秘|カジュラホ遺跡
サーンチーのストゥーパは仏教遺跡ですが、次に訪れたカジュラホは、ヒンドゥー教の寺院がある小さな村です。
寺院なのですが、そこに施されている彫刻の造形が非常にエロチックで生々しいため、いろんな世界観があるものだと知らされます。
カジュラホはこの遺跡が非常に魅力的なのですが、なにぶん小さな村です。ワタシが旅行した当時は気の利いたカフェやレストランがあまりなく、あたりを子豚がウロウロしているようなところでした。
そんなところではありますが、カジュラホ遺跡は非常に見応えのあるところだったので、もう一度訪れてみたいと思わせてくれる場所でもあります。そのあたりがインドの奥の深さなのかもしれません。
6) 喧騒からの脱出ネパールへ
アムリトサルから入国して6つの地域を巡ってきました。10/18にインドに入り、11月に入りました。非常に魅力的な国ではありますが、なにぶん疲れます。そろそろ次の国に向かおうかと思います。
■親切なインド人
カジュラホからネパールに向かうためにゴーラクプルという国境近くの町を目指します。カジュラホからゴーラクプルまでのルートは鉄道を選びます。まずは、カジュラホ遺跡からカジュラホ駅を目指します。距離8.5km。
このルートですが、なにぶん田舎なので公共のバスなどがありませんでした。そのためひたすら歩くしかありません。8.5kmなので、約1.5時間から2時間の距離です。周辺に商店が並んでいるわけでもありません。日本でいうと登山にでかけ、下山したあとのふもとの集落を歩いている感覚に似ています。一人でとぼとぼ歩きます。
すると、後ろからクルマがやってきてワタシを追い抜いて前方30mぐらいのところで停車しました。インド人男性二人です。彼らが「乗らないか?」と聞いてきました。「嬉しい!助かる!」しかし、ここはインドです。日本でも幼い頃に「知らない人のクルマに乗ってはイケない」と教わってきました。こんなところで拉致でもされたらたまりません。かなり迷います。「How Much?」と聞いてみました。「Rs.40でどうだ?」とのこと。悪くありません。まだ駅までは6kmはあります。あいにく彼らの目的地はカジュラホ駅ではなかったので途中で降ろされましたが、とても良心的なオファーでした。
Rs.40という話でしたので、約束通りお金を差し出したのですが、少し怪訝な表情で受けとっていました。もしかすると本当に親切心だけでクルマに乗せてくれたのかもしれません。これまでさんざんリキシャーワーラーに辛酸を嘗めさせられてきたので、とても新鮮な気持ちになります。ますますインドの奥の深さを感じさせられた出来事でした。
この時期、テレビ番組でお笑い芸人がヒッチハイクでユーラシア大陸横断という企画をやっていました。そのなかで中国では、ヒッチハイクで乗せてくれる人はほぼ皆無のためクルマをつかまえるのに3日かかるのはあたりまえという状況でしたが、インド・パキスタンの移動はとてもスムースに進んでいました。非常に共感しながら観ていたのをおぼえています。
カジュラホからゴーラクプルまではエアコン付き寝台車に乗車。暑い国あるあるですがエアコンが非常に強力なので寒いくらいでした。
こうして、インド旅前半は終わり。ゴーラクプルからネパールのポカラに向かいます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント