「今のお前から出される質問は全部答えられる」
幼少期のワタシにこう言い放ってきたのはうちのオヤジ。おそらくハッタリでもマウントでもなく彼は正直な感想を言葉にしただけなのでしょう。確かに幼少時の自分から出されるであろう質問など彼にとってはたかが知れていると思います。
ワタシが高校生ぐらいの頃にそんなオヤジがふとつぶやきました。
「ワイドショーで視聴率があがったとかさがったとかいってるけど、その番組を観ていない人がなんでその番組が面白くなったことがわかるんだろ?」
いろいろと雑多な考えを巡らすのが当時から好きだったワタシは何故かこの問いに対して即答するイメージが頭に浮かびました。
ワタシはこう言いました。
「その番組を観ている人がチャンネルを変えないからじゃない?」
当時ワタシは視聴率の動きを「マス(群)」でイメージしていました。つまりこういうこと。
視聴率15%のテレビ番組をイメージします。このときその番組のチャンネルを固定してずっと観ている人が10%の視聴率分だったとします。残りの5%はそのテレビ番組のチャンネルにたまたま訪れた人だとします。ただしその5%の人は一分後にはチャンネルを変えてしまう。そしてまた新たな5%がそのチャンネルを訪れる。
この状態がつづいていれば視聴率は15%です
<イメージ>
一分おきにやってくる5%の人は変わらないけどその瞬間の内容が面白くてそのチャンネルから出ていく人は2%に減りました。そうすると視聴率は15%→18%にあがります。
<イメージ>
そして1分おきにやってくる5%の人は変わらないけど内容がつまらなくてそのチャンネルから出ていく人は10%に増えました。そうすると視聴率は18%→13%にさがります。
<イメージ>
すなわち、
視聴率が高いとは、「そのチャンネルから出ていく人が少なく滞留している人が多い」
視聴率が低いとは、「そのチャンネルから出ていく人が多く滞留している人が少ない」
ということになります。
この解をオヤジに対して躊躇なく出して以降「今のお前から出される質問は全部答えられる」といった類の大胆な発言は彼からきかれなくなりました。
もっともこのような概念的な空間を勝手に脳内イメージしていた自分はやはり少しおかしいんだろうと冷めた感覚だけが残った記憶があります。それでもあの瞬間がオヤジを越えるという実感し始めたときだろうと思うのです。
オヤジを越えるのがデフォルト
年明けに帰省して旧友と会食した際に発さられたのが「オヤジを越えるのがデフォルト」という旧友の言葉。
それはきっと「先代のころはもっと」という枕詞つき評価を頂戴しないために必要な彼なりのビジネスハックなのでしょう。オヤジを越えて初めて個人としての自分が認められる日が来る。「美味しんぼ」にもそのようなテーマがありましたね。
無論、「別に世間さまに認められなくても良いんだ」という考えもあるかとは思いますがそれについては別の機会に。
この記事を読んだ方の「オヤジを越えた瞬間」はいつでしょうか。
それではまたいずれ。
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